執筆:虹の架け橋 編集部 R
「ペットが亡くなったとき、子どもを葬儀に参加させたほうがいいのだろうか」
ペットとの別れを経験した親御さんの中には、そう悩む方もいるのではないでしょうか。
火葬に立ち会わせることで、子どもにとってつらい記憶にならないだろうか。
「死」というものを、まだ小さな子どもに経験させていいのだろうか。
私自身、子どもの頃に飼っていた猫との別れを経験しました。
当時11歳だった私は、家族と一緒に猫の火葬に立ち会いました。
そのときの細かな流れは、今となってはあまり覚えていません。
それでも、今でもはっきりと覚えている場面があります。
そして大人になった今、あの頃の自分を振り返ると、「子どもにペットとの別れを経験させること」について、少し違った見方ができるようになりました。
8歳の私の前に突然現れた、小さな黒猫

私が8歳の頃のことです。
2つ下の弟が、学校から帰ってくると「拾って下さい」と書かれた段ボールを家に持ち帰ってきました。
あまりにもベタな展開ですが、その中には、手のひらに全身が乗ってしまうほど小さな黒い子猫が入っていました。
まだパヤパヤとした産毛のような毛で、ミーミーと鳴き続ける子猫。
私は、あっという間にその子の虜になりました。
弟が子猫を連れて帰ってきたとき、母はまだ仕事から帰ってきていませんでした。
玄関先で、私と弟の2人で作戦会議をしました。
「どうやってお母さんを説得しようか」
子猫を家で飼うために、子どもなりに必死に考えていたのを覚えています。
しかし、仕事から帰ってきた母に言われたのは、
「かえしてきなさい」
という一言でした。
何度も説得しましたが、母はなかなか首を縦に振ってくれません。
それでも納得できなかった私たちは、母に隠れてガレージの隅で子猫を飼うことにしました。
今思えば、もちろんそんな飼い方をしてはいけません。
冷蔵庫から牛乳を持ってきて、お皿に入れて飲ませたり、家の中からバスタオルを持ってきて、その上に子猫を寝かせたり。
一生懸命隠しているつもりでしたが、母にはすべてバレていたのだと思います。
翌日は土曜日でした。
朝から兄弟3人で子猫のお世話をしていました。
そしてお昼頃、そんな私たちを見かねた母が、
「人間用の牛乳はよくないし、体に虫も付いているだろうから、病院に連れて行くよ」
と言いました。
その言葉を聞いた私は、
「うちで飼っていいの!?」
と大喜び。
母から「ちゃんとお世話するんだよ」と言われたことも、今でも覚えています。
「ネロ」と名付けた、初めてのペット

最初は衰弱していた子猫も、病院に連れて行ってもらい、少しずつ元気になっていきました。
ペットを飼うこと自体が初めてだった私は、とにかく嬉しくて仕方がありませんでした。
猫用品を買いに行くときも、何を買おうかとてもワクワクしていたのを覚えています。
真っ黒な体だったので、名前はイタリア語で「黒」を意味する「ネロ」と名付けました。
ネロは、家の中ではいつも私たちと一緒でした。
夜になって、
「ネロ、いくよ」
と言うと、一緒に階段を上って2階の部屋までついてきます。
そして夜中になると、私のおなかの上で眠っていました。
最初は飼うことに反対していた母も、いつの間にか家族の中で一番ネロをかわいがっていたように思います。
それくらい、ネロは家族の一員になっていました。
別れは、驚くほど突然だった

ネロと暮らし始めて、3年ほど経った頃。
別れは、本当に突然でした。
ある夜、ネロが急性の発作を起こしました。
真夜中に病院へ連れて行きましたが、すでに亡くなっていました。
あまりにも突然のことでした。
まだ11歳だった私は、その現実についていくことができませんでした。
悲しいという感情だけではなく、「本当にネロがいなくなったの?」という気持ちだったのだと思います。
病院から帰った後、洗面所の鏡で自分の顔を見た瞬間、大粒の涙がこぼれました。
なぜか、その瞬間のことが今でも記憶に残っています。
それまで、家族や親戚など、身近な人との別れを経験したことはありませんでした。
私にとって、ネロとの別れは初めて経験する「死」でした。
子どもの私が覚えているのは、火葬の細かな流れではなかった

ネロの遺体は、毛並みを整えてあげて、家族みんなで見送りました。
具体的にどのように準備したのか、細かなことはあまり覚えていません。
火葬の手配なども、母がしてくれていたのだと思います。
私たち子どもは、ただ悲しみの中にいました。
何日後だったのかは、今でははっきり覚えていません。
学校が終わった夕方、家族みんなで火葬場へ向かいました。
火葬場の雰囲気や、そこでどのような説明を受けたのか。
火葬前にどのように過ごしていたのか。
残念ながら、そういった細かなことはほとんど記憶に残っていません。
でも、一つだけ強く覚えている場面があります。
火葬を終え、遺骨だけになったネロを家族みんなで囲み、長い箸を使って白い陶器の入れ物に遺骨を入れたことです。
今になって考えると、あれは拾骨という、立会火葬の中で行われる一つの場面だったのだと思います。
骨だけになったネロを見ても、当時の私は現実味を感じられませんでした。
「これがネロなの?」
そんな不思議な感覚だったように思います。
あのとき、子どもだった私はどうやって立ち直ったのか

弟たちも悲しんでいました。
ただ、私よりも幼かったこともあってか、私から見ると、少しだけ立ち直るのが早かったようにも感じます。
では、私はどうやってネロとの別れを乗り越えたのでしょうか。
正直なところ、覚えていません。
何日泣いたのか。
いつから普通に生活できるようになったのか。
どんなきっかけで悲しみが薄れていったのか。
ほとんど記憶にありません。
ただ、いつの間にか日常に戻っていったのだと思います。
そして今振り返ると、ネロとの暮らしを通して、私は「ペットを飼うということは、いつか別れを経験することでもある」ということを初めて知ったのだと思います。
「死」を経験したことは、私にとってトラウマにはならなかった
子どもの頃にペットの死を経験したことで、私は猫を怖いと思うようになったわけではありません。
その後、家庭の事情もあり、猫を飼うことはありませんでしたが、今でも変わらず猫が好きです。
ネロとの別れがトラウマになったという感覚もありません。
むしろ、大人になった今思うのは、母が「死」や「別れ」というものを隠さず、火葬まで含めて私たちに経験させてくれたことには意味があったのではないか、ということです。
もちろん、当時はとてもつらかったです。
でも、そのつらさを経験したからこそ、命には限りがあることや、一緒に過ごせる時間が永遠ではないことを、子どもなりに知ることができたのだと思います。
今でも、ネロは家族の思い出の中にいる

ネロとの思い出は、今でも私にとって大切な宝物です。
兄弟そろって食事に行ったときなど、ふとネロの話になることがあります。
「そういえば、ネロってあのとき……」
と話し始めると、昔の記憶が次々と出てきます。
そして、何年経っても、その話をすると涙腺が緩んでしまいます。
悲しいからだけではありません。
それだけネロが、今でも私たち兄弟にとって大切な存在だからなのだと思います。
ネロの遺骨は骨壺に納め、実家で手元供養をしています。
実家に帰ると、今でも手を合わせます。
そして、自分の子どもたちにも、
「昔、ママが飼っていた猫だよ」
とネロのことを話し、一緒に手を合わせています。
私が11歳の頃には、まさか何十年も経った後に、自分の子どもたちにネロの話をする日が来るとは思ってもいませんでした。
それでも、こうして今も家族の中でネロの話が続いていることを思うと、ネロとの時間は、あの3年間だけで終わったものではないのだと感じます。
子どもをペット葬儀に参加させることに、決まった正解はない

ここまで書いてきましたが、私は「子どもはペット葬儀に参加させたほうがいい」と伝えたいわけではありません。
子どもの年齢や性格、ペットとの関係、亡くなった状況によって、受け止め方は大きく違うからです。
葬儀に参加することで、きちんとお別れができる子もいるでしょう。
一方で、火葬の光景を怖いと感じたり、強いショックを受けたりする子もいるかもしれません。
また、葬儀に参加しなくても、家族との思い出を振り返ったり、絵を描いたり、手紙を書いたりすることで、その子なりのお別れができる場合もあると思います。
大切なのは、「参加させるべきか、させないべきか」という二択だけで考えないことなのではないでしょうか。
子どもがどのくらい理解できる年齢なのか。
本人は何を望んでいるのか。
どんなことを怖いと感じそうなのか。
そして、親がそばにいて支えてあげられるのか。
そうしたことを一つずつ考えながら、その子に合ったお別れの方法を選んでいいのだと思います。
あの頃の私にとって、ネロとの別れは大切な経験だった

私の場合、11歳で経験したネロとの別れは、決して楽しい経験ではありませんでした。
突然いなくなってしまったことが悲しくて、骨だけになったネロを見ても現実を受け入れられませんでした。
それでも、その経験を後悔しているわけではありません。
母が私たち兄弟に「死」を隠さず、最後のお別れから火葬、拾骨までを経験させてくれたことで、命の重みを知ることができたと思っています。
そして、ネロと過ごした時間を今でも大切に覚えています。
ペットを飼う経験。
大切な存在との別れを経験すること。
葬儀や火葬に参加すること。
そして、悲しみを抱えながら少しずつ日常に戻っていくこと。
そのすべてに、決まった正解はないのだと思います。
子どもにとってどんなお別れが良いのかは、その子によって違います。
だからこそ、「子どもだから参加させないほうがいい」「きちんと死を経験させるべき」と決めつけるのではなく、その子の気持ちを聞きながら、一緒にお別れの形を考えてあげることが大切なのではないでしょうか。
私にとってネロとの別れは、11歳の子どもには大きすぎる出来事だったのかもしれません。
それでも今、私はネロとの思い出を大切にしています。
そして、何年経っても兄弟でネロの話ができることを、嬉しく思っています。
あの日、段ボールの中で小さな声で鳴いていた真っ黒な子猫は、今でも私たち家族の大切な思い出の中にいます。


